始めに
始めに
泡坂妻夫『亜愛一郎の狼狽』についてレビューを書いていきます。
語りの構造、背景知識
ヒューリスティックに固有のエラー、制度論
本作品が興味深いのは、心理ミステリという体裁を取っていて、日常的な実践の延長の中で、ヒューリスティックに特有のマネジメントエラーについて中心に描いているという点です。
「DL2号機事件」
プロバビリティについてギャンブラーの誤謬を犯人である柴が犯しています。一度起こったことは再びしばらくは起こらないという妄想に取り憑かれた結果、自分が乗ろうとする飛行機に爆破予告をしたり、一度交通事故を起こした運転手を雇ったり、殺人事件を起こしたりしようとします。確率についての誤った直感がもたらす悲喜劇です。
「曲がった部屋」
犯人(底波)が被害者(二毛)を殺したのち、入れ替わっていたというトリックです。底波は二毛の妻と名乗っていた佐久子と共犯で、401号室に住んでいたのですが、二毛が住んでいた402号室に移り住む際、家具一式を交換したのですが、401号室と402号室は鏡像関係にある間取りだったため、佐久子が間違えて杉亭という401号室と同じ間取りの部屋に入った時、左右逆転しているために、電気のスイッチのある場所を間違えてしまいました。また402号室の鍵が洗濯機に入っており、斜めになっている集合団地においてステレオの座りを良くするための詰め物をそのまま移したため、傾斜を二倍にしてしまっていました。佐久子が習慣からうっかり普段電気のスイッチがある場所を探ってしまったのは、伊藤計劃『ハーモニー』についての記事で触れた、システム1がエラーを出力したからです。
「掌上の黄金仮面」
巨大観音像の掌の上でビラを巻いていた仮面の男が正面から撃たれて死亡していたという事件です。向かいにはホテルがあり、一室だけ窓が開けられていまして、警察はここに目星をつけます。その部屋に宿泊していたのは、強盗犯の男女で、女は浴室で殺されていました。しかし、なぜ仏像の掌の上にいた黄金仮面を「正面から」射殺できたのかという疑問が残ります。ホテルの窓から掌までは30メーターほど隔たっていたからです。使用された拳銃の照準もずれていて、この距離で狙うのは難しそうです。
実際には、これは観音像の掌まで登って強盗の男が撃ったのでした。仮面の男は事故を防ぐために背中側に仮面とシルクハットをつけていました。そうすればバランスを崩して前のめりに倒れても、大仏方向に逃げられます。一方、強盗の男は共犯の女を殺したとき、向かいの観音像の掌に仮面の男を発見しました。当然、仮面の男は背中に仮面をつけていたため、ホテルの方を見ていなかったのですが、強盗の男は見られたと思って殺してしまったのでした。
ここでは、人間が仮面というものに抱く恐怖を描いています。人間にはもともと相手の表情などからその意図などを解釈しようとするメカニズムが備わっていますが、仮面をつけた相手は顔を見ることができず、その解釈のためのリソースが制限されています。その仮面への潜在的な恐怖が本作では生かされています。
「G線上の鼬」
認知の時間的な部分を捉えています。浜岡という運転手は郊外に客を乗せ、帰ろうとすると市街地方面に乗ってきた客がいました。亜愛一郎です。雪がみぞれに変ろうとした時、国道G号線の道路上にひとりの男が立ちふさがり、浜岡は急ブレーキをかけます。立ちふさがったのは、タクシー運転手の金潟でした。イタチ顔のタクシー強盗に襲われたというのです。直接現場には戻らず、とりあえず警察と合流することにします。金潟の案内で、G号線を小道側に曲がると、金潟が言ったとおりにタクシーが乗り捨てられていて、中には強盗の死体が残されています。こうして金潟が第一容疑者になります。雪の上には、金潟の足跡しかなかったからです。客を含めて警察に連行されますが、亜愛一郎が真相を見抜きます。
金潟はなぜ犯人像をイタチと表現したのか。狡賢そうな吊り目の特徴の顔を形容するなら「キツネ」というのが普通のはずです。亜が見つめていたのは、G号線から別れる小道でした。タイヤ痕がみぞれのために消えかかっていましたが、確かにありました。そして、足跡もあります。その小道は、タクシーが発見された小道の2本前の道でした。実際の犯行現場からタクシーを移動させていて、タクシーからの足跡は犯人のものだったのです。こちらの足跡こそ、金潟のものでした。雪がみぞれに変わったことが、犯人にツキをもたらしたのです。イタチ顔という形容は、事件の直前にイタチが道路を横切ったための連想でした。タクシー強盗は実は二人組で、運転手の注意を事前に渡すチップで気を引いている間に、もうひとりが後部座席の床にこっそりとうずくまるという手法でした。運転手に抵抗されても、ふたりがかりであれば犯行は容易だったからです。
この事件は認識や推論の時間的な部分を捉えています。これは「歯痛の思い出」(『亜愛一郎の逃亡』)同様です。直近の経験や知覚に引きずられる形で推論を展開してしまう人間という計算機に固有の癖を描いています。モダニズムのジョイス『ユリシーズ』、フォークナー『響きと怒り』、ウルフ『ダロウェイ夫人』などに見える意識の流れの手法は、現象学(フッサール、ベルクソン)、精神分析などの心理学、社会心理学、プラグマティズム的な知見を元に意識の時間論的側面について美学的再現を試みたものでしたが、本作も認識の時間論的側面を描いています。
「ホロボの神」
制度論、文化人類学的な主題を孕み、コミットする慣習や規範が異なるため、違った合理性のもとで動くエージェントを描きます。戦争末期、多数の兵士が招集されそのひとりが中神でした。南方戦線に送られたのですが、輸送船は大破し、漂着したのがホロボ島でした。300人いた兵士も、島に上陸できたのは、半数の150人ほど、飢えの中で復員できた者は、わずか40人くらいです。部隊を再編成したのは大和田少尉、脇を固めたのが通信担当の原浜軍曹と軍医の酒井中尉でした。
大和田少尉は話の分かる人物だったのですが、性格に問題を抱えていたのが鬼軍曹の原浜でした。軍医の酒井は負傷兵のために自らの血を献血するほどの人です。原浜軍曹は、復員船の中で虫垂炎のために亡くなり、本土の地を踏むことはありませんでした。そんな原浜も復員の直前には、穏やかな人物になっていたと中神は語ります。
ホロボ島には源住民が住んでいました。最初はお互いに避け合っていたのですが、次第に交流も生まれました。彼らが信仰していたのが、「ホロボの神」でした。木を地面に一本立て、木の両脇に石を2個置けば偶像となりますが、これは男性器を神に見立てていました。さらに、島民には泥棒という概念がなく、何かと「置き換え」て、欲しいものを盗る習わしです。
そんな島で、妻を亡くした族長が、死者を安置する祠堂の中で拳銃自殺します。自殺など不自然だというのが軍医の意見でしたが、殺人としても祠堂は密室になっていました。
犯人は原浜軍曹でした。族長は、軍曹が森に住む猿に向かって銃を発射した際、一度は死に、もう一発撃つと蘇るのを(単に気絶していたのが目を覚ました)目にしていました。この力を借りれば、死せる妻を蘇らせることができるのではないかと族長は考えました。原浜は族長に、拳銃を兵士から「置き替え」、死せる妻に拳銃を握らせ、神である拳銃に自らの額を押しあて引き金を引くと、死者は蘇ると教えました。その動機は、祠堂に立てられたホロボの神の2個の石で、教会に置かれた宝石を族長に見つからず「置き替え」ようとしていました。米兵と仲間に見つけられないために宝石を呑み、虫垂炎に似た症状を引き起こしたのでした。
このように異なる慣習にコミットメントする中で、異なる合理性を発揮するエージェントを描く、文化人類学的内容になっています。
そのほかトリック
「右腕山上空」
密室のはずの気球で起こった殺人です。実は協力者が忍び込んでいたため、その協力者に殺されたという内容です。タバコの匂いがその発覚の手がかりになっています。
「掘出された童話」
暗号ものです。成功した実業家により出版された絵本が、モールス信号によって記述された暗号になっています。ひら仮名文字を閉曲線の有無で二つに分けており、誤字が解読の手がかりとなっています。その内容は、かつて殺した妻への自責の念を綴るものです。
「黒い霧」
死亡推定時刻の誤認のために、特徴的な事件を利用するトリックです。犯人はカーボンをある町の商店街にばらまきました。この商店街の2階、3階はアパートになっていて、ここにある死体の死亡推定時刻をずらそうとしました。その死体の鼻も肺もカーボンのために真っ黒で、カーボン騒動以前に、カーボンを吸わせて殺しました。
物語世界
あらすじ
亜愛一郎は年齢は30代半ば、独身、背が高く彫りの深い気品のある美貌の持ち主で、そのため初対面の女性には好感を持たれるが、言動はおかしく落胆される事もしばしば。なぜか行く先々で殺人事件にでくわすも、さして捜査をせずに観察と推察だけで事件の全容を推量し、犯人を突き止めます。頭の中で真相にたどりついた時、白目をむいてしまうという癖があります。
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