始めに
始めに
今日は麻耶雄嵩『鴉』について解説レビューを書いていきます。
背景知識、語りの構造
名前による一人二役トリック
本作品は櫻花少年と橘花少年が兄弟だという誤認、櫻花少年と珂允(主な焦点化人物)が別人であると見せかける一人二役の叙述トリックが中心になっています。このような一人二役の叙述トリックは貫井『慟哭』、綾辻『十角館の殺人』など、類例が多いですが、本作の特徴は語られる場面の時間的隔たりが隠匿されているという点で、『葉桜の季節に君を想うということ』を連想します。
本作において語られる櫻花少年のパートは、珂允の過去であるため、語りの中心となる現在からはかなり遠く隔たっています。しかし、橘花少年の兄であると誤認させられることにより、その時間的隔たりが隠匿されています。
南部ゴシック風ミステリ
本作品は泡坂妻夫「ホロボの神」(『亜愛一郎の狼狽』)、ストリブリング「ベナレスへの道」や三津田信三の作品のように、文化人類学的知見を盛り込んだ作品になっています。外界から隔絶された前近代的因襲を残した村で起こる事件が描かれます。そこにおける固有の慣習や疾患により、独特の実践が行われているのですが、そうした伝統的制度の中での犯人の合理的振る舞いを痕跡から解釈して推論するプロセスが描かれます。「人を殺すと手に痣ができる」という俗信を前提したところで、犯行が可能だったのが痣を恐れずに済む神官だったと明かされます。
色覚異常トリック
本作品では色覚異常トリックが用いられています。本作品の舞台となる村では、遺伝的な疾患によるものか、あらゆる人間が色覚異常を抱えていて、赤色(血痕、紅葉)を認識できません。とはいえ、本作もそうなのですが、色覚異常のミステリにおける描写は実際の色覚異常からはかけ離れた描かれ方になっています。実際の患者への風評被害を招くため、もっとセンシティブであるべきとは感じています。
本作も、赤が見えないおかげで村の出入り口の道が見えないという展開がありつつ、実際には色相が認識できずとも明度や彩度の違いでそれと判別できるはずです。個人的にはこのようなトリックを展開するなら、いっそ特殊設定における「呪い」による影響とかファンタジックなものにして、現実の色覚障害との関連を希薄にすることが要求されると思っています。現実世界における色覚異常に関する正確な知識を持っているから物語世界における合理的な推論を阻害されてしまうのであれば、それは倫理的瑕疵である以上に、本格ミステリとしての欠陥と感じます。
物語世界
あらすじ
埜戸(のど)と呼ばれる、現在は地図に載っていない村。弟・襾鈴(あべる)の失踪と死の謎を追って、村へ足を踏み入れた兄・珂允(かいん)は、突如無数の鴉に襲われ負傷します。大鏡様という現人神に支配された村では、珂允のように外から来た者は「外人」と呼ばれ忌み嫌われています。珂允が滞在する中、大鏡の信奉者・遠臣が何者かに殺害されます。
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