PR

伊藤計劃『ハーモニー』解説あらすじ

伊藤計劃
記事内に広告が含まれています。

始めに

始めに

MGS3のリメイクが発表されました。ここで、シリーズの大ファンでノベライズも手がけた伊藤計劃の『ハーモニー』のレビューを書いていきます。

語りの構造、背景知識

等質物語内の語り手・霧慧トァンの語り(作中作)。等質物語内の語り手「私たち」

 作品は架空のマークアップ言語で記述される霧慧トァンの一人称的経験と、ハーモニープロジェクト以後の人間「私たち」による語りになります。

 作品において、人類の大多数の意識の消滅が描かれます。この世界で「watch me」と呼ばれるナノマシンを通じて生府と呼ばれる医療機関が人々の健康を監視、管理しています。ナノマシンはあらゆる人に組み込まれているわけではなく、子供はまだインストールできないなど、取り入れていない人もかなりいます。

意識とは何か

 本作において消滅する人間の「意識」とは、そもそもなんでしょうか。モダニズム以降の作家はフォークナー(『響きと怒り』)、プルースト、クロード=シモン、ロブグリエ(『嫉妬』)に見られる「意識の流れ」の手法など、一人称的視点を言語という記号を通じて、もっぱらその時間的経過のなかで機能の特徴について推論し、再現を図ってきました。

 伊藤計劃は双曲割引など行動経済学における概念が取り入れられていることからわかるように、行動経済学や隣接分野である認知科学、認知心理学、脳神経科学、心の哲学、自然主義哲学から着想の多くを得ていると考えられます。現代の心の哲学では、意識や心というものの機能主義的、道具的定義がいろいろに考えられており、大まかに言ってそれは複数のモジュールの計算、表象の操作を統合し、シュミレーションから推論を立て環境に適応的な行動変容を促すツールであるとの見通しが立てられています。そのような意識の働きはおよそ二重の問題解決システムよりなります。

二重の問題解決システム

 進化の歴史の中で後に誕生した人間、脊椎動物ほど高次の表象能力、推論能力を有し、微生物などはごく単純なそれしか持ちません。基本的に人間は恐怖、快楽などの行動変容を生む原始的で短慮で素早い認知的機能(システム1)と、もっぱら高次の表象能力に頼った熟慮的な問題解決能力(システム2)の協業の中で問題解決のための推論を図ります。一方で原始的な動物は前者の原始的な行動変容プロセスに頼っています。この二つはどちらが上とかそういうものではなく、システム1はもっぱら価値的世界を担うものであることからシステム2のプロセスがはたらくベースになっています。

 人間の意識を通じた推論は優秀な部分もあるものの、往々にして目的に不合理であったり、自己にとっての効用を最適化するという点で目的に不適合だったりします。例えば身近なところだと、理屈の上ではカロリーの少ないものを摂って体調管理すべきとわかっていても、短慮な行動変容プロセスたる食欲に引き摺られて、不合理な意思決定を成してしまいます。一方で理屈の上では言語化できなくても身の回りにある不正義への違和感を直感的に、かつ端正に捉えていることもあります(『寄生獣』のラストみたいな)。また、ダイエットの話に絡めていうなら、そもそも「太り過ぎは不健康で良くない」という価値づけがシステム1という価値的実践を担う認知的プロセスがあるからこそ、ダイエットのための合理的な計画のデザインをシステム2を通じてできるのです。

 閑話休題。けれども人間のそうした二重の推論プロセスもそう優秀なばかりでなく、固有の不合理な思考パターンがあり、それがもたらす負の帰結に関して行動経済学や政治学における投票行動をめぐる科学などにおいて考察されています。本作もそうした視点を孕み、「ハーモニープログラム」というなナノマシンの「watch me」を通じた生体への干渉を通じて、集合行為におけるエージェント全体の効用を最適化するための行動変容がドライブされるのですが、その弊害として「watch me」をインストールした人間の「意識」が消滅してしまいます。つまり「こころ」が、情動に根ざす価値的世界や心的状態が消滅しています。

自由をめぐる医療倫理学

 本作でハーモニープログラム達成以降の社会は、やはりディストピアと言えるでしょう。一見すると帰結主義の立場からはその効用が最適化されている点において公正と捉えられるかもしれませんが、ここにおいてエージェントの行動が他のエージェントにコントロールされているのみならず、選好など情動に根ざす価値的実践すら変容されてしまっていて、内心の自由が侵害されています。

 『ペルソナ5 ザ=ロイヤル』の丸喜のエピソード、『NARUTO』の無限月読をめぐるエピソード、『マトリックス』シリーズ(1.2.3)、『ゼーガペイン』など、功利主義のアンチテーゼたる経験機械の寓話めいたシチュエーションがフィクションでもしばしば見えます。そこでエージェントが自己の選好(価値的世界)に対する理解を深化するプロセス、自己物語を洗練させて自己を作りドライブする方向性をデザインしていく自由が侵害されているのならば、そこに真の自由と幸福、正義はないと言えるのだと思います。なぜならその前提となる価値的世界が侵されているからです。

 伊藤計劃が好んだMGS1のグレイ=フォックスの言葉を借りるなら、「俺達は政府や誰かの道具じゃない…戦うことでしか…自分を表現できなかったが…いつも自分の意思で戦ってきた!」と考えるトァンにとって、個人の内心の自由をシステムへの従属という形で侵害するハーモニープログラムは許せないものだったでしょう。

『ロング=グッド=バイ』『ディア=ハンター』『ガタカ』

 伊藤計劃は映画からの影響が顕著ですが、この作品もアルトマン監督『ロング=グッド=バイ』(原作:チャンドラー)チミノ監督『ディア=ハンター』と似通った構造になっていて、トァンのミァハへの憧れと幻滅が描かれます。トァンはミァハに感化されつつ、ミァハは過去のトラウマで自己同一性を損なってしまい、変容してしまいます。そんなミァハへの長いお別れを告げるトァンが描かれます。

 またニコル監督『ガタカ』を格別好んでいた伊藤計劃ですがその影響も顕著です。フーコーを引用しつつ、権力からの科学によるエージェントの自由、幸福の侵害を懸念する医療倫理的主題が現れています。

物語世界について

あらすじ

  2019年、アメリカで発生した暴動から、全世界で戦争と未知のウイルスが蔓延した「大災禍」(「ザ・メイルストロム」)によって従来の政府は瓦解し、新たな統治機構「生府」の下で高度な医療経済社会が築かれます。ここでは参加する人々自身が公共のリソースとなり、社会のために健康、幸福であることが義務とされます。
 「ザ・メイルストロム」から半世紀を経た頃、女子高生の霧慧トァンは、生府の健康・幸福社会を憎悪する御冷ミァハに共感し、友人の零下堂キアンと共に自殺を図るものの、途中でキアンが生府に密告し、失敗してミァハだけが亡くなります。
 13年後、WHO螺旋監察事務局の上級監察官として、生府の監視の外にある辺境や紛争地帯で活動していたトァンは、ニジェールの戦場で生府が禁止する飲酒と喫煙を行っていたことから、日本に送還されます。
 日本に戻ったトァンはキアンと再会し昼食を共にするものの、キアンは「ごめんね、ミァハ」と呟き、自殺します。その後、同時刻に世界中で6,582人の人々が一斉に自殺を図る「同時多発自殺事件」が発生したと分かり、螺旋監察事務局が捜査に当たります。
 事件にはミァハが関係していると考えたトァンは、ミァハの遺体を引き取った冴紀ケイタを訪ねます。そこでトァンは、自身の父親である霧慧ヌァザが人間の意志を操作する研究を行っていたと聞かされ、ヌァザの研究仲間ガブリエル=エーディンがいるバグダッドに向かいます。その際トァンは、自殺直前のキアンがミァハと通話していたことを知り、彼女の生存を知ります。
 バグダッドに向かう前、トァンはインターポール捜査官エリヤ=ヴァシロフから、人間の意志を操る「次世代ヒト行動特性記述ワーキンググループ」という組織が生府上層部にあり、同時多発自殺事件に関与していることを知らされます。
 トァンが空港に向かう途上、同時多発自殺事件の犯人の犯行声明がテレビ放送され、「健康・幸福社会を壊すため、1週間以内に誰か1人を殺さなければ、世界中の人間を自殺させる」と宣言します。トァンは犯人とミァハが似ていることに気が付きます。
 バグダッドに到着したトァンはエーディンと面会、し、その日の夜に「次世代ヒト行動特性記述ワーキンググループ」の中心人物で父のヌァザと会います。ヌァザはトァンに、人間の意志を制御し「ザ=メイルストロム」の再来を防ぐ「ハーモニー=プログラム」の研究、及びその実験体としてミァハをバグダッドに連れて来たこと、「ハーモニー・プログラム」には人間の意識が消滅する副作用があり、同時多発自殺事件は「ハーモニー=プログラム」実行急進派のミァハが仕組んだことだと明かします。
 そこにミァハの仲間のヴァシロフが現れヌァザを捕らえようとし、トァンと相打ちになって重傷を負い、トァンをかばったヌァザは亡くなります。トァンはヴァシロフからミァハはチェチェンにいると聞かされ、チェチェンに向かいます。
 犯行声明から1週間の期限を迎えた日、チェチェンの山奥にある旧ロシア軍基地でトァンに再会したミァハは、「生府の健康、幸福社会によって居場所を失った多くの人々が自殺している」として、「人間の意識を消滅させて世界を“わたし”から救う」と真意を語ります。トァンはキアンとヌァザの復讐のため「ミァハの望む世界を実現させるけど、それを与えない」と伝えて、ミァハを射殺します。
 復讐を果たしたトァンは瀕死のミァハと共に基地の外に出て、世界に別れを告げ「人間の意識=わたし」が消滅するのでした。

関連作品、関連おすすめ作品

・大友克洋『AKIRA』:親友の変節のドラマ

参考文献

・戸田山和久『哲学入門』(筑摩書房.2014)『恐怖の哲学 ホラーから人間を読む』(NHK出版.2016)

・伊藤計劃『伊藤計劃記録Ⅰ』『伊藤計劃記録Ⅱ』『Running Pictures-伊藤計劃映画時評集』『Cinematorix-映画計画映画時評2』

・木島泰三『自由意志の向こう側 決定論をめぐる哲学史 』

・風間賢二『ホラー小説大全[増補版]

コメント

You cannot copy content of this page

タイトルとURLをコピーしました